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織田信長ゆかりの城はどこ!?性格や人柄エピソードまで紹介!

みなさん織田信長(おだ のぶなが)をご存知ですか?

「知らないわけないだろっ!!」なんて声が聞こえてきそうですね…

今回は織田信長ゆかりの城の紹介と性格や人柄が分かるエピソードを紹介しようと思います。

日本でその名を知らない人はいないであろうカリスマ性のある戦国武将はいったいどんな人だったのでしょうか。

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1⃣織田信長ゆかりの城5選

織田信長は有名な戦国武将なだけあって多くの城とゆかりがあります。

尾張の戦国大名ともいわれており、東海地方が織田信長に関係するお城やお寺が多いです。

今回は、名古屋城、岐阜城、小牧山城、安土城、清洲城を紹介します。

安土城だけ少しだけ距離が離れていますが、他は車で1~2時間程度しか離れておらずその気になれば1日で回ることもできるでしょう。

(1)名古屋城

名古屋城(那古野城)は、”愛知県名古屋市中区二の丸1″にあります。

名古屋城は織田信長が生まれた城だといわれています。

織田信長が好きな人はそれだけでも魅力的な城ですね。

しかし、第二次大戦の名古屋空襲によって大部分を焼失してしまいました。

その後、現在の天守や外観は戦後になって復元されています。

日本の100名城の一つにも選定されています。

そして名古屋城のシンボルといえば「金の鯱(シャチ)」です。

名古屋城といえば金の鯱という人も多いですね。

信長が居城としていた時代の面影はありませんが、現代の名古屋の繁栄に織田信長は深く関わっているはずです。

(2)岐阜城

岐阜城は、”岐阜県岐阜市金華山天守閣18″にあります。

岐阜城は美濃の齋藤氏の居城であり元々は稲葉山城と呼ばれていました。

織田信長と齋藤氏は、信長の父織田信秀の代から長年にわたり戦いを繰り広げていましたが、1567年ついに落城しました。

織田信長は美濃国に本拠を移すとともに、古代中国の故事にならい「岐阜城」と名を改めました。

現在の地名「岐阜」はこれに由来しています。

県の名前の由来がお城って凄いですよね。

以降は織田信長の“天下布武”の拠点として重要な場所となりました。

現在は金華山山頂に天守が復興され、日本の100名城の一つにも選定されています。

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(3)小牧山城

小牧山城は、”愛知県小牧市小牧町字八幡前”にあります。

尾張の戦国大名である織田信長は戦略を美濃国に向けます。

そのため北方約10キロ、美濃国に近い小牧山に築城したのです。

小牧山城の山頂では尾平野を一望できます。

織田信長はこういった事も考えて小牧山城に拠点を置いたのでしょう。

1584年に羽柴秀吉(豊臣秀吉)と徳川家康が戦った「小牧・長久手の戦い」でも舞台となり、小牧山に布陣した徳川軍が勝利を収めています。

(4)安土城

安土城は”滋賀県近江八幡市安土町小中700″にあります。

安土城は1585年、琵琶湖をの近くの近江国安土山に築城されました。

水辺にある城とは当時では珍しいものでした。

この安土城も天下統一を目指した織田信長の重要な拠点として有名です。

安土城の外観は当時の記録によると六層の南蛮風天守閣をが見られたと示されており、信長のカリスマ性が伝わってきます。

残念ながら本能寺の変に際し城郭は焼失してしまいましたが、石垣の一部などの遺構が残り日本の100名城の一つにも選定されています。

(5)清洲城

清洲城は、”愛知県清須市朝日城屋敷1−1”にあります。

織田信長の天下取りの出発点であり、戦国の世を終結させ天下平定を目指す武将が重要拠点としていたともいわれる城です。

清洲は古くから尾張国の中心として栄え清洲城は守護代織田氏の居城でしたが、守護代織田氏が滅亡した後に入城したあ織田信長が約十年にわたり本拠地としました。

今川義元を討ち取った有名な戦いの「桶狭間の戦い」に出陣したのも清洲城からという記録があります。

織田信長が亡くなったあとの織田家の継嗣問題と領土再分配に関する会議「清洲会議」なども歴史上の重要な出来事もこの清洲城を舞台に繰り広げられました。

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2⃣性格や人柄エピソード

“好きな戦国武将”、”好きな歴史上の人物”、”上司にしたい歴史上の人物”など色んなランキングに必ずといっていいいほどあがってくる織田信長はいったいどんな性格や人柄をしていたのでしょうか。

また、人気の理由は説得力のあるエピソードや功績にあるともいわれています。

とにかく人気で有名な織田信長の性格や人柄エピソードに迫りたいと思います。

(1)性格や人柄

織田信長は気性が荒く破壊的だというイメージが強いかもしれませんが、実は革命家のようなカリスマ性のある戦国大名だったのです。

織田信長が登場する映画では性格が荒々しい織田信長が見られますよね。

また、こんな言葉を聞いたことがありませんか?

“泣かぬなら、ころしてしまえホトトギス”

これは織田信長の性格を表現した言葉だといわれています。

織田信長が言った言葉ではありません。

しかし、実は戦略をいつでも考えており当時ではありえない将軍にも歯向かう行為なども進んで行っていました。

新しいことを次々とやっていった新時代を築くキッカケとなったカリスマ性のある人物なのです。

茶道や幸若舞などが好きという文化的な一面もあり、また外国との交流も積極的におこない様々な南蛮の文化や食が織田信長の時代に日本にやってきたといわれています。

前例がないことにチャレンジし失敗しても何度も何度も追いかける、不屈のチャレンジ精神の持ち主であったように思えます。

(2)何をやった人なの?

天下統一のために織田信長がおこなった政策や戦

  • 1560 桶狭間の戦い(今川義元を倒す)
  • 1567 美濃攻略(斎藤氏を追放し、稲場山城を岐阜城へ改名し岐阜城を拠点に)
  • 1568 将軍である足利義昭を奉じて京へ向かう(入京)
  • 1570年 姉川の戦い(浅井長政、朝倉義景を倒す)
  • 1571 比叡山延暦寺焼き討ち(当時は相当極悪非道だと非難された)
  • 1573 室町幕府滅亡(足利義昭を追放)
  • 1575 長篠の戦い(武田勝頼を倒す)
  • 1576 安土城を建築
  • 1580 石山戦争終結(本願寺の顕如を屈服)
  • 1582 天目山の戦い(武田氏滅亡)
  • 1582 本能寺の変(家臣の明智光秀に襲われ自害)

3⃣織田信長まとめ

名前 織田信長(おだのぶなが)

誕生日 1534年5月12日

死没日 1582年6月21日

出身地 愛知県(尾張)

趣味 相撲観戦 茶道具集め 幸若舞

築いた城 名古屋城、清須城、小牧山城、岐阜城、安土城

愛知県では織田信長をモチーフにしたキャラクターや信長という日本酒も販売しています。

今にも名を残す戦国大名ですので相当カリスマ性のある人物だったことが分かりますよね。